Lesson1-2 オリンピック選手たちの活躍

宇宙から五輪へ

1950年代、宇宙飛行士の訓練にメンタルトレーニングを取り入れたソ連は、その科学的なトレーニング方法を他の分野で応用してみようと試みます。その一つがスポーツでした。

宇宙飛行士とスポーツ選手、全くかけ離れた職業に見えますが、似通っている部分も多々見受けられます。たとえば「常にベストに近い結果を出さなければならない」と絶えず強いプレッシャーをかけられていること、そしてちょっとしたミスが生死の、あるいは勝負の境を分ける環境であること……といったところでしょうか。

そう考えると、宇宙飛行士に対して行ったようなメンタルトレーニングを、スポーツ選手に施したらどうなるだろう? と実験してみたくなるのは自然な流れと言えるでしょう。1957年、旧ソ連のオリンピック強化チームが導入して成果を上げたのを皮切りに、メンタルトレーニングは徐々に旧ソ連や東欧諸国に広まっていきました。

当時は宇宙開発だけでなく、スポーツの分野においても、ソ連はアメリカを筆頭とする西側諸国に対して一歩リードしていたのです。もちろんその背景には「国を背負って戦う」という覚悟もあったでしょうし、それをもってメンタルトレーニングのみの成果とは言い切れないとする考えもありますが、それだけでオリンピック出場選手がメダルに賭ける意気込みにそこまでの差が出るものでしょうか?

メンタルトレーニングが無視できない成果を上げたのは、否定出来るものではありません。その証拠に、メンタルトレーニングは徐々に東欧から西欧へと広まっていきます。

勝負に勝つということ

メンタルトレーニングは旧ソ連から始まり、次第にアメリカを中心とする西洋文化圏へと受け継がれていく事になります。メンタルトレーニングの歴史の流れを追う際に大事なのは、一般的なスポーツの分野ではなく、強い緊張状態に置かれるような大舞台で「勝つ」ための方法論としてのし上がって来たという背景を押さえることです。

そもそもスポーツで勝つとはどういうことでしょうか?

これはとても重要な問題です。ハイスコアや美しさで競う競技もありますが、基本的にはスポーツの勝負事には相手が存在します。その相手を打ち負かすのが「勝利」であり、素晴らしい記録を打ち立てることは必ずしも必要ではありません。

野球の乱打戦などを想像してみてください。たとえば、試合が15対14で終わったとします。両チームとも得点に関しては「ハイスコア」を挙げたと言っても差し支えありませんが、勝ったのは1点多く得点したチームの方です。そして、たとえ結果が15対14だろうと、15対0であろうと、勝ち負けの重みは同じです。

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スポーツで勝負に勝つとは、相手をわずかに「上回る」ことを意味します。しかしトップアスリートの世界では皆が皆しのぎを削っており、肉体的な能力や技術で相手をリードするのはそう簡単なことではありません。

だからこそ、心を鍛えて差をつけるのです。

Can you do it?“(=それができるか)という言葉は、スポーツの世界では有名ですよね。これは”How good you are?“(=あなたはどれだけ上手にプレイできるか)とは違い、必要なときに必要な技術を発揮することができるか、という内容の問いかけとなっています。

プロたるもの、みんな「できる」力はあるのです。一流の野球選手なら150kmのストレートを打ってホームランにすることもできますし、プロボウラーならピンを10本倒してストライクを取るなど朝飯前です。だからこそ、充分な実力があることを前提とする勝負の世界では、「必要なときにその実力を発揮できるかどうか」が重要になります。一流になるまでと一流になってからでは必要とされる力がまるで異なる、という格好の例ですね。

メンタルトレーニングがオリンピックの舞台を中心に流行した理由は、実はここにあります。オリンピック出場選手の力量に差がないとは言いませんが、オリンピックに出るくらいですから、相応の実力は持っているはずなのです。だからこそ、”Can you do it?”に対して”Yes, of course.“と応じられるような練習として、メンタルトレーニングが脚光を浴びることになったのです。

モントリオールの衝撃

話を元に戻しましょう。1950年代に旧ソ連で導入されたメンタルトレーニングはその後も東欧諸国で効果を発揮し続け、オリンピックという大舞台のメダル獲得数に影響を与え続けることになります。最も象徴的なのは1976年に開催されたモントリオールオリンピックでしょうか。

当時のデータからモントリオールオリンピックのメダル獲得数のランキングを作ると、1位はソビエト連邦の金49、銀41、銅35の125個となっています。2位はアメリカ合衆国の94個ですが、金メダルの獲得数に関しては3位の東ドイツが40個と、34個のアメリカを上回っています。総合メダル獲得数でも90と、アメリカとは僅差です。

これだけなら当時の大国とドイツが強かったというだけの話ですが、4位以降を確認するとなかなか面白いことになっています。総メダル獲得数、金メダル数などの指標から上位ランキングを見ていくと、10位以内には西ドイツ、ルーマニア、ポーランド、日本、ブルガリア、ハンガリー、キューバなどが並んでおり、旧共産圏でメンタルトレーニングを導入した国が上位に食い込んでいるのです。

もちろんメンタルトレーニングの存在自体は資本主義諸国にも伝わっていたのですが、その衝撃がオリンピックのメダル獲得数という形ではっきりと示されたモントリオールオリンピックは、メンタルトレーニングの世界におけるターニングポイントと言えます。この頃から西洋諸国でもメンタルトレーニングが普及し始め、その効用はやがて1984年のロサンゼルス・オリンピックで現れることになります。